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【アラベスク】  第8章 荊の城



第1節 女王様 [1]




「なにも、ありませんでしたわね」
 首元にかかる緩やかな髪を指で弄びながら、少女は不機嫌そうに呟く。
 整った顔立ちと言う点では、美人だ。
 手入れの行き届いた眉。下に配置された二重の瞳は黒目優先。目頭から迷うことなく伸びた鼻筋は、あまりにもハッキリとしていて冷たさすら感じられる。
 唇の薄さを上手に隠すリップ使い。化粧慣れしている。この程度のメイクなら、唐渓(からたに)ではさして珍しくもない。
「なんてもったいない夏休みだったのかしら」
「他にいくらでも、手は打てましたのにね」
 横に座る同じ歳の少女が、同意するように言葉を添える。そうして、長テーブルの向こうの女子生徒へ視線を投げた。
 釣られて不機嫌な少女も、顔をあげる。
 その先で、金本(かねもと)(ゆら)はグッと俯いた。
山脇(やまわき)くんと大迫(おおさこ)美鶴(みつる)。夏休み前に言い争っていたのだから、二人が疎遠になるのは時間の問題。そうおっしゃいましたわよね?」
「…… はい」
 力なく頷く緩の言葉に、少女はポイッと髪の毛を投げる。
「だから、山脇くんが(わたくし)のところへ出向いてきてくださるのも時間の問題。そうもおっしゃいましたわよね?」
「はい」
「じゃあなぜ山脇くんは、今この時まで、私のところに来てはくださらないのかしら?」
 最後は語気も荒々しく、嫌味を含ませて問いかける。
「結局私は、ただ待ちぼうけていただけじゃないっ!」
 唐渓高校生徒会。その副会長を務める廿楽(つづら)華恩(かのん)を目の前に、緩は何も言葉がない。
 美鶴と瑠駆真(るくま)が駅舎で言い争っていたのは間違いない。それを報告し、二人が疎遠になるのは時間の問題だとも伝えた。それも間違いない。
 だが、それにより山脇瑠駆真の好意が廿楽華恩へ向くなどとは、一言も言っていない。
 仲違(なかたが)いを聞いた華恩が勝手に喜び勇み、これでようやく自分へ目を向けてくれるだろうと思い込んだだけ。緩はそれに同意を示したに過ぎない。
 だが緩に、その事実を指摘する度胸はない。
 緩どころか、学校中のどこを探しても、そんな度胸を持ち合わせている生徒など存在しないだろう。
 まぁもっとも、華恩もバカではない。夏季補習で登校してくる瑠駆真に、それとなく接触も試みた。それは偶然を装って、登校してくる瑠駆真と対面し、自ら「おはよう」の一言を掛けるという、(はた)から見れば実にまどろっこしい、分かりにくい、中途半端な行動ではあった。
 だが彼女にしてみれば、自ら出向くという行動は、己の矜持(きょうじ)()した決意だ。今まで保ってきた立場と品格が下がるのではないかという危険、他生徒に胸の内が知られるのではないかという危険を犯してまで決意を込めて実行したのに、今だ瑠駆真からはめぼしい反応もない。
「私を道化にするつもり?」
 自らの行動が報われない苛立ち。どこかにぶつけなければ気が済まない。
「あなたがサボったりするからよっ」
 そうだ。私の想いが報われないのはこの女のせいだ。私に非があるわけがない。
「とても許せるものではありませんね」
 面詰(めんきつ)され、緩はさらに俯く。
「やっぱり、二人が仲違いする程度ではダメね」
 副会長補佐の少女が、ため息混じりに呟く。
「大迫美鶴に誰か男をくっつけて、山脇くんを諦めさせなければ」
「だから言ったのよっ」
 バンッと机を叩く。緩は思わずビクリと震える。
「金本(さとし)とまとめてしまえってね」
 良家の令嬢にはおよそそぐわぬ発言を(はばか)りもせず口にし、それには と、口調をネバつかせる。
「緩さん、妹のあなたが一番の適任よ。そうでしょう?」
 そう、緩は華恩にそう指示された。だから聡に協力しようと努力はした。そう、彼女は彼女なりに努力はしたのだ。だが―――
 緩は聡が嫌いだ。







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